「牛ヶ首神社 由緒」(牛ヶ首用水土地改良区,2014年3月)より
「神通川下流左岸から射水平野東部一帯は,かつてしばはしば水不足を生じ,米の収穫が多く見込めない土地であった.この地に安定した水を確保するために,八町村善左衛門,下村長左衛門,小竹村久右衛門らが用水の開削を加賀藩に願い出た.藩ではこれを認めて寛永元年(1624),山田川からの取水による用水工事を始め,さらに井田川からも水を取り入れ,寛永十年,日本屈指の用水がおおむね完成した.
その間,難渋を極めた八ヶ山切り通し工事では,ある夜,八町村善左衛門の枕元に牛嶽神社の大明神が立たれて告げられた.『気を落とす出ない.汝に力がなければ吾に従え.ただちに寝牛の首をとり,草木も眠る丑三つ時に人目を忍び,難所に深く埋めよ.しからば全望が遂げられる.』善左衛門は,そのとおり実行した.翌朝,人夫たちが難所で牛の生首を見つけると善左衛門はここぞとばかり,神の助けであり工事は金らで成功すると励まし,人々は勇気百倍,無事に切り抜けたという.用水は藩主前田利常によって『牛ヶ首用水』と命名された.
その後,水源をさらに神通川本流に求め,承応三年(1654),新たに「新江」と呼ぶ用水路を完成し,以前からの用水路を「古江」と名付けた.新たな田が開かれ,石高が四万石にもなったことから,「四万石用水」とも呼ばれるようになった.
加賀藩は寛永三年,古江開削工事の守り神として,百塚の久安寺の南に神明社を創建した.承応三年,新江が完成したとき富山藩によって新たに神明社が祀られた.先を古江神明,後を新江神明と称し,それぞれ水下の村々によって管理されるようになった.その後,古江神明では元禄十三年(1700)に,藩から百塚の地を社地として賜って現在地へ移転した.明治四十二年(1909),新江神明を古江神明に合祀して「牛ヶ首神社」と改称した.昭和五十四年(1979)新社殿を新築,九月には神社境内で古くから行われていた奉納角力を復活した.また,開削功労者三名の偉業をしのび,八町の吉祥寺で毎年八月法要が営まれている.
牛ヶ首用水事業は,明治以降富山県に引き継がれた.昭和三十年(1955)には水源地が神通川第三堰堤となり,三十七年(1957)からは用水路等の改良工事が行われるとともに,用水流域では乾田化や圃場整備が進められ,県内有数の穀倉地帯となっている.」